私の音 -My Note -

#1 三つ子の魂

2025年07月03日 12:19

住む場所や
食べるもの、人間関係、

身につけるもの、
生活環境、読む本、聴く音楽、

見るもの、聞くもの、
触れるものの全て。


私たちはこれらの全てを
自分の意思で選択できる。


突然の病や
家族のライフステージに合わせることは
もちろん無視できないけれど、


でも今、
少なくとも平穏無事な生活を送れているならば

私たち主婦が
自由に選択できることは実は多い。


それなのに私は
何かにつけて言い訳して
「却下」「保留」のラベリングを貼り付けて
後回しにし続けてきた。


今、そのラベリングを剥がそうにも
シールが古くなり過ぎて
劣化してまぁ剥がれにくいこと!


そして、
何を隠そう貼られているのは
自分の心だから
剥がすときにひどい痛みが伴う。


私が自分の心に貼り付けてきた
ラベリングって例えば、


・夫が転勤族だから、
マイホームなんて無理だし一生賃貸。

・主婦だし、ママだから、
贅沢は罪。自分に投資なんて以ての外。

・40代、いい大人だから、
今さら「チャレンジ」なんてどうかしてる。


「そもそも「損」したらどうすんの?」

「自分磨きに投資なんてして、元取れんの?」


臆病で自分に自信がなかった私は
何かに本気になって
その何かを極めた経験も乏しかったから、

それはそれは小さくなって
どのくらい長い間足踏みしていただろう?


「好き」だけど、得意かわからないこと。

「得意」だけど、好きかわからないこと。


いつもその間で揺れていて、

苦しかった。



年齢を重ねれば重ねるほど
どんどん置いて行かれていくような感覚も味わった。


でも最近ある問いを自分にしてわかった。


「好き」には稲妻みたいなエネルギーがある。


好きは無条件に心と体が動く。



最近、開催した手帳レッスンで
あるワークをしたんですが、

自分でも改めて取り組んだら
「なるほど!やっぱりか!」と納得の嵐でした。


「子供の頃、好きだったことは何ですか?
好きな遊び、好きだった習い事など、
思い出せる位の年齢まで遡ってみて。」



私は子供の頃からずっと
「自分の頭の中のアイディアを形にする」

ことが好きでした。


例えば、
5歳位のある出来事を
部屋の家具の配置、
その時見た色の全てまで鮮明に覚えています。


母親の鏡台の引き出しをこっそりと開けては
真っ赤なマニキュアを爪に塗ったり
口紅を塗ったり、



ハイヒールをこっそり玄関で履いて鏡を見ては
テレビで見る「綺麗なお姉さん」に
自分の創造力で変身できた気がして嬉しかった。



(真っ白なシーツの上で手を滑らせて
マニキュアをこぼしてしまった時の心情も覚えてる!)


頭の中のイメージと好奇心を形にする時、
何とも言えない
魂が震える喜びが私の身体中を駆け巡る。



「伝える」ことでもなく
「教える」ことでもない
「自分の手で作る」ことが好きでたまらないのです。



最近、丁寧に自分を考察してわかった
本当の自分です。


自分探しに迷ったら
「子供時代の自分」が答えを持っているかもしれませんよ。


子供の頃、好きだったことは何ですか?


好きこそ、人生の使命。
世の中へ放てる自分の唯一の光。


今もし貴方が何かを世の中へアピールしていて
それがうまく届いていないなら
エネルギーが乗っていないからだと思う。


エネルギーが乗っていない、という意味は
「本当はやりたくないこと」をやっていると等しいのです。


無理やり自分の心に嘘をついてやっている。
だから、届かない。



もう一度聞きます。

子供の頃、好きだったことは何ですか?


三つ子の魂、百まで。



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