#2 誰かの価値観
2025年07月03日 12:19
私の記事を読みに来てくれている方は
「書くこと」を大切に捉えている人が多いと思います。
「夢を叶えたい」から書くのか?
「自分を知りたい」から書くのか?
どちらかによって
ノート術や手帳術の結果は異なりますが、
今この記事を読んでくれている貴方は
どちらが優先事項でしょうか?
私はどちらかと言えば、後者の方です。
「自分を知るために書く」
だって、
自分を知らなければ
本当に過ごしたい人生なんて送ることはできないし
在りたい姿になるなんて夢のまた夢だから。
一般人の私がこうして世界へ向けて気軽に
記事にしたり動画にして発信できる時代。
その溢れかえる情報の中から
「選び取る技術」を持っていなければ
ひとたび恐ろしいほど深い
情報の渦に巻き込まれて溺れることは確実。
そして「自分を見失う」という
非常に厄介な症状が長引くのです。
外側へ答えを求めても何も解決しない。
Instagram、Twitter、YouTube…
ほんの少し嗜好品を楽しむように見る
「ヒント」くらいにしておかないと
知らないうちにどんどん
「誰かの価値観」が心と体に染み付いていく。
でも元々は自分の価値観ではないから
拒否反応を起こしては心が痛む。
「〇〇じゃない私はおかしいんだ…」
「みんなはできるのに私にはできない…」
と言った具合に。
今あなたがもし、
この情報社会の中で
寂しさを感じながらスマホを握って
「いいね」や「フォロー」を待っているなら、
ただシンプルに
なんとなくスマホ依存症になっている可能性が大きい。
誰かの何かでは
本当の幸せを感じることはできないし、
目の前の家族を無視したり
大切なことをおざなりにしてまで
得たい情報ってなんでしょう。
どんなヨガの哲学書を読んでも
冒頭に必ず記されている教え。
「外側に答えはありません」
3500年前から
人間は気がついていたと言うことです。
「外側に答えを求めるな」
生まれ持った時から備わっている
心と体が知っている自分の本質の叫び、
ちゃんと聴けていますか?
自分が本当はどうしたいか
ちゃんと気づけていますか?
損得じゃなくてね。